資料解説COMMENTARY
発見された「幻の書」
「なじみ集」は、子規が友人や知人の俳句を収集し、一冊にまとめた自筆の選句稿です。講談社版『子規全集』第16巻(昭和50年発行)の解題において「まぼろしの重要文献」とその存在が紹介されながらも、長らく原本は所在不明でしたが、平成21年に発見され、当館に収蔵されました。
この「なじみ集」には、子規自身を含めて98名(無名・失名の人物を除く)の俳句が収録されており、その総数は4,378句です。収録された俳句のうち最も新しいのは明治28年春のものであることが確認されています。なお、「なじみ集」という名称は、自分に「馴染み」のある人の俳句を集めたことに由来すると考えられます。
俳句の作者の顔ぶれは、子規に最初に俳句の手ほどきをした俳諧宗匠の
「なじみ集」の体裁
「なじみ集」に俳句が収録された人物(一例)
内藤鳴雪
(1847~1926)
本名は
鳴雪の俳句の画像:12~44
高浜虚子
(1874~1959)
本名は清。松山出身。河東碧梧桐を通じて子規と知り合い、俳句を学ぶ。俳誌『ホトトギス』を運営するなど、子規の俳句革新を近いところで支え、また病床での身辺の世話もよくした。子規の死後、有季定型を重んじる守旧派として俳壇に重きをなした。
虚子の俳句の画像:264~284
河東碧梧桐
(1873~1937)
本名は
碧梧桐の俳句の画像:245~264
五百木飄亭
(1870~1937)
本名は良三。松山出身。常盤会寄宿舎で子規と親しくなり、ともに俳句に熱中する。のち衛生兵として日清戦争に従軍し、帰国後は日本新聞社に勤めジャーナリストとして活動する。晩年は国事に奔走した。子規にとって初期の重要な俳句仲間であり、「なじみ集」の収録句数は380句と、内藤鳴雪に次いで多い。
飄亭の俳句の画像:200~222
夏目漱石
(1867~1916)
本名は金之助。江戸(東京)出身。第一高等中学校時代に子規と親しくなり、のち子規に俳句を学ぶ。松山に中学校教師として赴任し、子規と「
漱石の俳句の画像:127~128
陸羯南
(1857~1907)
本名は
羯南の俳句の画像:61~62