資料解説COMMENTARY
ペンネーム「子規(ほととぎす)」にまつわる文献を集めた「八千八声」
子規がはじめて喀血したのは、明治21年7月29日の鎌倉旅行中のことでした。この時の喀血は長くは続きませんでしたが、翌明治22年5月9日、子規は再度喀血し、一週間ほど喀血が続きました。このとき、子規は「鳴いて血を吐く」鳥といわれていた「ほととぎす」を題に「卯の花をめがけてきたか時鳥」など40~50句の俳句を作り、以後自らを「ほととぎす」の漢名である「子規」と号しました。
本資料は、子規が「ほととぎす」をペンネームに用いるにあたって、これまでの故事や文学作品で用いられた「ほととぎす」の例を徹底的に調べたものです。冒頭の「活法大成」では辞書的意味や「ほととぎす」が血を吐く鳥と言われる理由となった中国の故事を引用しています。これに続けて、平安期歌人の家集、勅撰和歌集などから「ほととぎす」が詠まれた和歌のほか、狂歌・
本資料は上巻であり、本来は上・下の二巻で構成されていましたが、下巻は伝来の過程で散逸しました。本資料は完本で保存されてきたものであり、雅号「子規」に深く関係するもので、大変貴重です。上巻だけで163丁にも及び、子規が喀血後も「言葉」に向きあい、根気強く研究したようすがうかがえます。
なお、本資料は上下巻とも『正岡子規全集』第二巻(改造社 昭和7年4月21日刊)に掲載されています。
「八千八声 上」の体裁

