松山市立子規記念博物館デジタルアーカイブThe Shiki Musium / Digital Archives
俳人ヲ戒ムルノ書表紙

02「俳人ヲ戒ムルノ書」

HAIJIN-WO-IMASHIMURUNO
SHO

【資料名】

子規筆「俳人ヲ戒ムルノ書」


【資料名読み】

シキヒツ「ハイジンヲイマシムルノショ」


【作者名】

正岡子規 ほか


【作成年】

明治29(1896)年秋


【形状・表装】

折本


【寸法】

縦255㎜×横382㎜(閉じた状態)


資料解説COMMENTARY

子規の厳しい指導を物語る「俳人ヲ戒ムルノ書」

本資料は、子規が明治29年秋ごろに記したものです。もとは奉書紙を四つ折にして綴ったものでしたが、現在は52丁の折本に仕立てられています。

本資料は、子規が伊予の周桑郡しゅうそうぐん三芳村の俳人・一舟に書き送ったもので、柳原極堂やなぎはらきょくどうの『友人子規』に、その顛末が記されています。一舟は『海南新聞』の子規選募集俳句の投句者で、「天」に選抜されたことを喜び、旧来の慣例に従って選者である子規の選句揮毫を求め、極堂を通じてたびたび依頼しました。これに子規は激怒して「俳句ハ人に向ツテ威張ルガタメニ作ルモノニ非ズ」、「点取ニ天ヲ得テ之ヲ巻ニ書キ残シコケヲドサントスルハ田舎人ノアサマシキ根性ナリ」と一舟を厳しく批判しました。

本資料の後半部分に、この一舟の俳句に対する態度を戒める文章が収められています。前半部分には、子規のほか、おそらく本資料が書かれたときに周囲にいたであろう高浜虚子や河東碧梧桐の句や、中村不折の作と思われる絵が描かれています。

本資料は、長らく公開されていませんでしたが、後半部分の子規の文章は雑誌『改造』(昭和9年9月号)に「俳人を戒むるの書(未発表遺稿)」として掲載され、その後講談社版『子規全集』第4巻などに掲載されました。前半部分の子規や虚子、碧梧桐らの俳句や不折の絵はこれまで未公開でしたが、このデジタルアーカイブで初めて全頁を公開します。

「俳人ヲ戒ムルノ書」の体裁

01. 前半部分には子規や門人らの俳句や絵が収められる。最初の頁は子規の筆か。「芋」の題で俳句を書き連ねる。一舟が子規に求めた選句揮毫はない。
01. 句の右下に俳句の作者署名がある。ここでは、高浜虚子・河東碧梧桐・竹村秋竹の俳句を書き連ねている。同一人物の筆に見えることから、子規が代筆したものと思われる。
01. 後半部分は、一舟に対する批判の文章。「俳句ハ人ニ向ツテ威張ルガタメニ作ルモノニ非ズ」から始まり、63枚に及ぶ。子規の激しい怒りが感じられる。
01. 前半部分には子規や門人らの俳句や絵が収められる。最初の頁は子規の筆か。「芋」の題で俳句を書き連ねる。一舟が子規に求めた選句揮毫はない。
01. 句の右下に俳句の作者署名がある。ここでは、高浜虚子・河東碧梧桐・竹村秋竹の俳句を書き連ねている。同一人物の筆に見えることから、子規が代筆したものと思われる。
01. 後半部分は、一舟に対する批判の文章。「俳句ハ人ニ向ツテ威張ルガタメニ作ルモノニ非ズ」から始まり、63枚に及ぶ。子規の激しい怒りが感じられる。