資料解説COMMENTARY
明治30年の子規の句作のすべてを物語る、唯一の俳句稿
本資料「
子規にとって明治29年は、自分自身の俳句の上達の面でも、門人たちの活動の面でも、一つのピークを迎えた年でした。しかし翌明治30年以降、病状が一段と進行したことと、短歌や文章の革新に時間を費やすようになったことから、作句数は次第に減少します。明治30年には1,400句を超えていた句数は、32年には903句、そして子規が亡くなる明治35年はわずか412句でした。この俳句稿は、子規の俳句人生の岐路となった時期を物語る資料といえます。
なお本資料は、もと明治32年までの4年分の俳句稿と一綴りにされていましたが、終戦後に1年ごとに分けて綴じ直されました。その後、明治31年と同32年の俳句稿は国立国会図書館に収蔵されましたが、明治29年と同30年の俳句稿は長らく行方不明でした。現在は、明治29年・30年ともに当館に収蔵され、子規の俳句革新を物語る貴重な資料として保存・活用されています。