松山市立子規記念博物館デジタルアーカイブThe Shiki Musium / Digital Archives
桜亭雑誌 第六号表紙

07「桜亭雑誌 第六号」

OHTEI-ZASSHI

【資料名】

子規筆「桜亭雑誌 第六号」


【資料名読み】

シキヒツ「オウテイザッシ ダイロクゴウ」


【作者名】

正岡子規


【作成年】

明治12(1879)年


【形状・表装】

和綴本


【寸法】

縦210㎜×横135㎜(閉じた状態)


資料解説COMMENTARY

編集者の卵だった、少年時代の子規自筆の回覧雑誌

本資料「桜亭雑誌 第六号」は、子規が少年時代に編集・筆写した回覧雑誌です。全10丁からなる冊子で、表紙には表題とともに「明治十二年五月廿九日木曜日発兌」と発行日が記され、また発行所として「雷雲社」の名が付されています。

「桜亭雑誌」は、のちに編集者として手腕を発揮する「ジャーナリスト子規」の原点として重要な資料です。子規が「桜亭雑誌」を発行したのは、勝山学校在学時、11歳頃のことでした。子規は「桜亭仙人」というペンネームで「雷雲社」の社長・編集長・書記を一人でこなし、友人から集めた投書作文や雑報、書画などを丹念に筆写し、友人間で回覧しました。ここに収録された歴史論、経済論、教育論などの多岐にわたる作文は、内容の巧拙はさておき、立身出世を夢見て勉学に励んだ、明治松山の少年たちの気概を伝えています。

「桜亭雑誌」はこれまで、第三号(表紙のみ、内容は第一号)、第四号、第五号の存在が知られ、講談社版『子規全集』に収録されていますが、本資料「桜亭雑誌 第六号」は『子規全集』未収録であり、貴重な資料です。本資料に収められた個々の文章は友人たちから集められたものですが、そこには「編集長」である少年子規の問題意識が投影されていると見てよいでしょう。

「桜亭雑誌 第六号」の体裁

01、子規が自ら記したタイトル。「桜亭雑誌」の「桜亭」は子規のペンネーム「桜亭仙人」に由来し、松山の自宅の庭に桜の老木があったことにちなむ。02、雑誌の発行元として「雷雲社」と記されている。子規は本資料のような雑誌発行の「まねごと」を通じてのちの文学活動の基礎を学んでいったといえる。03、この雑誌を「発行」した日付を記す。明治12年5月29日木曜日とあるが、このとき子規は満11歳、勝山学校に在学中であった。小学生とは思えない達筆である。04、子規の蔵書印「獺祭書屋図書」が押されている。子規が少年時代の思い出の品として大切にしていたことがうかがえる。
01、雑誌の見出しとして「投書作文」とある。「桜亭雑誌」は友人たちから集めた作文が誌面のメインを占めた。この作文は「秀吉論」と題する歴史論であるが、当時の小学生たちの文章力や教養の幅広さに驚かされる。02、友人たちの作文はすべて子規が筆写している。一行あたりの文字数もほぼ揃えられており、子規が「桜亭雑誌」の編集にいかに熱心に取り組んだかが分かる。03、裏表紙には、読み終えて回覧したことを示す印鑑が数多く押されている。「正岡」の印はないが、これは子規自身が発行元であったためと考えられる。
この頁は「書画類」のコーナーである。描かれている着物姿の女性の絵は、子規が少年時代に筆写した絵の指南書「画道独稽古」にも同じものが見られる。「桜亭雑誌」は友人たちから集めた作文のほか、書や絵の作品に加え、なぞなぞのコーナーもあった。誌面構成にバラエティをもたせることで、読者を楽しませようとしたのであろう。少年編集長・子規の工夫がよく伝わる。
01、子規が自ら記したタイトル。「桜亭雑誌」の「桜亭」は子規のペンネーム「桜亭仙人」に由来し、松山の自宅の庭に桜の老木があったことにちなむ。02、雑誌の発行元として「雷雲社」と記されている。子規は本資料のような雑誌発行の「まねごと」を通じてのちの文学活動の基礎を学んでいったといえる。03、子規の蔵書印「獺祭書屋図書」が押されている。子規が少年時代の思い出の品として大切にしていたことがうかがえる。04、この雑誌を「発行」した日付を記す。明治12年5月29日木曜日とあるが、このとき子規は満11歳、勝山学校に在学中であった。小学生とは思えない達筆である。
01、雑誌の見出しとして「投書作文」とある。「桜亭雑誌」は友人たちから集めた作文が誌面のメインを占めた。この作文は「秀吉論」と題する歴史論であるが、当時の小学生たちの文章力や教養の幅広さに驚かされる。02、友人たちの作文はすべて子規が筆写している。一行あたりの文字数もほぼ揃えられており、子規が「桜亭雑誌」の編集にいかに熱心に取り組んだかが分かる。03、裏表紙には、読み終えて回覧したことを示す印鑑が数多く押されている。「正岡」の印はないが、これは子規自身が発行元であったためと考えられる。
この頁は「書画類」のコーナーである。描かれている着物姿の女性の絵は、子規が少年時代に筆写した絵の指南書「画道独稽古」にも同じものが見られる。「桜亭雑誌」は友人たちから集めた作文のほか、書や絵の作品に加え、なぞなぞのコーナーもあった。誌面構成にバラエティをもたせることで、読者を楽しませようとしたのであろう。少年編集長・子規の工夫がよく伝わる。